Lens Impression
カール・マイヤーはレンズメーカーの名称ではなく、レンズブランド名である。
米国シカゴの大手写真用品メーカーBurke & Jamesによって使用された。
同社は1897年にシカゴでHenry BurkeとDavid Jonesによって創業された企業で4x5、8x10などの大判カメラ、引き伸ばし器、カメラ用品などを製造していたが、1920年代に入ってGeorge
Druckerがオーナーとなって1960年代後半まで経営を行った。特に第二次世界大戦後が同社の最も発展した時期で、シカゴの複数のビルにオフィスを構えていたようである。また、Georgeがオーナーであった頃、弟のAlbert
Druckerも同社で勤務していたが、Albertは後にガンドラック(Gundlach Manufacturing Corp. of Rochester)のオーナーとなる。
Georgeは1927年にGoerzゲルツの持ち株会社を買収する。同社のドイツ国内部分は前年すでにツァイス、エルネマンなどとの大合併により、実質的にツァイスに吸収されていたが、持ち株会社の買収により、Georgeはゲルツの商標権と米国ゲルツを手に入れたことになる。しかし、この買収はあまり成功とは評価されていないようである。
Georgeの光学関係のパートナーとなっていたのが、Hans Roderweiss(1989年77歳で死去?)であり、同社の多くのレンズ製造に関わっていたと考えられるが、Hans名の特許などは見つからなかった。
1927年頃、同社の高品質レンズ群にふさわしい名称を考えていたGeorgeはそれにはやはりドイツ風の名称が良いと関係者に漏らしていた。すると妻の婦人科主治医が、「Karl
Meyer」を提案した。カール・ツァイスとフーゴマイヤーの合体かどうかは不明であるが、Georgeはそれそ採用し、英語風に「Carl Meyer」と命名した。
謎多きブランド名であるが、かなり多種のレンズを供給しており、主要なものでも、Moviar, Anastigmat, Videostigmat, Speed, Reprostigmatがあるが、その中で、もっとも高速なレンズが「Speed」である。この「Speedレンズ」は高速撮影の専門分野でもしっかり認知されていたようで、下の表のように1962年の第5回「International Congress of High Speed Photograpy」において、カール・マイヤー 60mmf1.6レンズが登場した記録が残されている。
このCongressでは他に、「Farrand 76mmf0.87, TTH 50mmf0.8, Canon 50mmf1.2, Carl Zeiss
75mmf1.5, Nikkor 85mmf1.5, Bausch & Lomb 127mmf1.9, Kodak 178mmf2.5」などが使用機材として登場するかなりのレベルのものであった。さらに1966年のHigh
Speed Photographyのレポートにカール・マイヤー 85mmf1.4が毎秒1万枚撮影の高速カメラに使用されたという記録も残されている。
レンズの生産については部品を複数のメーカーから取り寄せて組み立てたという話もあり、またボシュロム製であるという説もあるが、いずれも確認はとれていない。ただMoviar
5cmf1.0の中には先端部分がズノー5cmf1.1とよく似たものがあったり、VIDEO-STIGMAT 200mm f2.9がDallmeyer
Pentac 8inch f2.9と同一視されているなど複数の海外企業からレンズバレルの供給を受けていたことは間違いないであろう。
1970年代初頭、まだ収益体質であったにもかかわらず、同社はGeorgeの手を離れ、Ilex Optical Co.に売却された。この経緯については不明であるが、この直後Georgeは大判カメラ製造用機材をシカゴ川に投げ捨てたというエピソードもささやかれるくらいであるので、十分納得のいく譲渡ではなかったのかもしれない。
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